「おはよう、優君。」
彼女はそうやって、今日も僕を学校までの通学路を迂回してまで誘いに来た。幼馴染でもなんでもない彼女が毎朝そうする理由を僕は知らないけど、別に嫌なことでもないから気にしたことが無い。
しかし僕の名前は優でもなければ、その漢字が当てはまる名前でもない。これは彼女が僕のことを優しい男だと称して呼ぶ暗号だ。彼女の少し緩んだ呂律でこう呼ばれると声の届く場所一面に甘い香りが漂うような響きが生まれるが、皆がいる場所で呼ばれるのには少し抵抗がある。

「どうしたの、今日は元気ないね。」
「昨日遅かったから。ちょっと寝不足なだけだよ。」
というのは半分本当で半分嘘である。実はもっと一大事が起きていたけど他人に話せるような内容じゃないから伏せておいた。
彼女はとにかく人の気配に敏感である。ちょっとした感情の揺れや些細な事にもいち早く気が付く、そんな感じ。
「ふぅん。睡眠不足は肌の大敵だからほどほどにね。」
そう言うと彼女は僕を見ているのか見ていないのか、一人でさくさくと歩き始めてしまった。一見すると軽い言葉の応酬に見えるけどその実彼女のことだから何か悟られてしまっただろう。
僕が嘘をつくのが下手なわけじゃない。彼女が真実に鋭すぎるのだ。
この前だって柏木がへましたのを貸し1つで僕がやったことにしたのに、彼女は皆が信じきって僕を茶化している横で
「それ、やったの柏木君だよね。」
なんて発言をかましてくれたのだ。その場はそんなこと無いよと誤魔化したけど、彼女は次の日の朝いつものように僕を待ち伏せては
「どうして嘘ついてたの。優君はやってないのに。」 と言って僕が柏木に貸しを作ったことを話すまで僕の2、3歩後ろを歩きながら熱い視線、もとい鋭い視線を送り続けたのだから。

「優君。もう少し早く歩かないと遅刻しちゃうよ。」
そう言われてようやく僕は思考回路を彼女から現実に引き戻した。
どうやら思ったより考えにふけっていたらしい。彼女との間には急ぎ足で歩く生徒の姿が目に入るぐらい距離が出来ていた。
僕は駆け足でその場を去った。それは彼女に追いつくためだったのか、それとも学校に遅刻しないためだったのか。今思えばどちらでもなかったような気がする。