僕は別に私立の学校に通うほど裕福な家庭に生まれたわけでもなければ、高校にもいけないほど貧乏な家庭に生まれたわけでもない極普通の学生だ。更に言うと特別趣味があるわけでもなく成績優秀でもスポーツ万能でもないただの人間だ。
でも彼女は聞くところによるとどこかの会社令嬢だったかなんだったかのお嬢様だそうだ。断定的でないのはそんなこと一々彼女に聞くのもおかしいというか。第一彼女の家が何であったとしても彼女が変わるわけでもないし、僕はそういうことで人付き合いが出来るほど良く出来た人間じゃないし。
要は直接聞いたことが無いのだ。
実際学校で過ごす彼女を見ているとそんな貴族ぶった風でもないし、かといって常に会話の中心にいるような明るい子でもない。そっと話に混じっているようなまるで僕と同じ極普通の学生に見えるのだ。そんな彼女に姫だの何だの理想を語り合って、それを彼女に押し付けているような奴らの話しに僕はついていけない。無論ついていく気も無いのだが…。
と、朝からこんな思考にふけってしまうのは何も今朝の彼女が原因ではない。全て金山が悪いのだ。数学教師の金山大樹、通称金のなる木。こいつの授業は数学だとかいう以前にとにかく眠い。そんな授業が1時間目からあった日には、考え事をしていても寝てないだけましというものだ。
にしてもどうしてそんな渾名が学年で広まっているかは金銭に煩いだとか実は生徒に貢物をしているだとかいろいろあるが、そんなことはどうでもいい。名前が金山大樹だから金と樹を取って金のなる木。これで全て解決。
「そこのページの問8。1番を柏木…は寝てるか。じゃあ」
そんな声を聞きながら後ろを振り返ると柏木が思いっきり爆睡していた。その顔は額に肉とでも書きたくなるほどの居眠りっぷりだ。うっかり吹き出しそうになるのをこらえてかつかつと音の鳴る黒板に向き直ると彼女がチョークで黒板に回答を書いているところだった。普通黒板に文字を書くと書きなれている教師はともかく生徒ならチョークの具合からノートほど字が綺麗には書けないものだ。それを彼女は黒板をそのまま90度曲げたようにすらすらと数式を書き写す。僕にはその手の動きが英語の筆記体を書いているように見えてならなかった。その原因の一端は僕の頭が数式を理解できなかったことにある。
そうしている間に写し終わったのだろう彼女は僕の斜め前である自分の席に座った。
「よし、合ってるな。ここのところ解らない奴いないな。なら次2番を安藤。問9を」
クラスの4分の1が眠っていて、残りの半分が解っていないだろうこの問題を金山は簡単に通り過ぎた。金のなる木のハードルはやはり僕にはまだ早すぎるようだ。
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