もともと僕の学園生活は彼女のおかげで平穏だったことはない。既に僕には様々な噂が立っているのだ。延長線的に僕は昨日の卵焼きの件をさして気にしないことにした。あの後も安藤さんは彼女と一緒に僕と何気なく会話していたし、結果的に考えれば新しい友達が1人増えたわけで。不本意ではあるが僕を理解してくれている(はずの)柏木もいるのだし。むしろその前に起きた一大事の方が現在進行形で警報が鳴りっぱなしである。そろそろそっちの方に本腰を入れたいのだが
「おはよう、優君。」
やはり今日も出来そうにないだろう。

彼女は今日も僕のことを暗号で呼ぶし、少し緩んだ呂律も変わることが無い。普通に考えれば人間何も無くそんなにすぐに変わっても不気味だが、僕の中で彼女は丸い枠からはみ出た特別である。いつ何が起こるかは予測不可能だ。
「今日は何考えてるのかな、優君は。」
そう言いながら少しかがんで僕の顔を見上げているこの体勢も予想外の出来事である。
彼女は世間一般で言うところの美女に分類される。その上成績優秀でスポーツも優雅にこなすとなれば狼たちが放っておくはずがない。しかしかなりの時間を彼女と同じ空間で過ごしているであろう僕でも誰かが彼女に告白をしたり手紙を忍ばせているといった場面はまだ見たことがない。僕にはそういった感覚は無いのだが、皆は彼女のことを高嶺の花のようにでも思っているのだろうか。
「いや、もてるんじゃないかと思って。」
「優君が?それとも私?」
まさかそこに僕の名前が出るなんてことも予想外である。
「僕はそんなに冴えた男じゃないから。」
「それなら私だってそんなにいい女の子じゃないよ。」
彼女の場合これが自分を分かっていて言う嫌味でもなければ謙遜でもない。彼女自身心底そう思って出てくる発言なのだから、僕が次に言う言葉にもきっと賛成されないに違いない。
「それ、多分皆の前で言ったら全否定されると思うよ。」
「なら優君のもそうなるよ。きっと。」
そう言う彼女の顔は僕には少し儚く見えるはずだった。そう見えなかったのは、きっと彼女の後ろから太陽が降り注いでいたからだ。
「あのさ、」
光に答えるように振り返る向日葵に目を奪われて、僕の気持ちはそのまま前に倒れこみそうになった。しかし次の1歩を踏み出した瞬間、体と反比例するようにその気持ちは1歩後ずさった。
「ごめん。やっぱり何でもないよ。」
「そう。別に構わないけど、いつもの優君らしくないね。」
そして何もなかったようにまたいつものペースで歩き始める。
彼女から見たいつもの僕と僕から見たいつもの彼女。前者が存在することは僕自身によって証明される。でも後者が存在することは僕には証明できない。